通い続けている病院のエントランスへと続く道には大きな桜があって、その下にはベンチが数個並んでいる。桜散るなか、そこで外来患者やサラリーマン、医療従事者がコーヒーを飲んでいた。文庫本片手のひと、話し込むひと、ぼんやり処方箋を待つひと。近くのコーヒーショップの緑のロゴ。

場所は病院なのだから、大概の人は、どこかに欠陥や不具合を抱えているのだろう。もちろん、わたしも例にもれない。それでも、コーヒーを手にした彼らは、まるでこの世の理不尽や不幸なんて一度も経験したことのないような顔で、満ち足りていた。少なくとも、そのように見えた。桜の花びらが舞うなか、で。

病院にいると、生きているのか死んでいるのか、ときどき、分からなくなる。欠陥ゆえにか、臓器をとりだしたゆえにか、周囲のひとがただただ優しく、それが日常生活とはあまりにかけ離れていて「あら?わたし死んでしまって、すでにここは天国かしら」と思ってしまうのだ。だから、というべきか、わたしには、死んだ後も楽しく暮らせるだろう、という変な確信と自信がある。特に、今日のような、桜の下の楽園をみた日には、確信と自信は一層確固としたものになる。