今年も9月14日がきて、9年目に突入した。

わたし自身に限定すると、9年前に彼が亡くなってから、一体何が変わっただろうか、と思う。ぐちゃぐちゃだった最初の数年の後、確かにわたしは「新しいわたしになった」と感じた。しかし、今は、実はたいして何も変わっていないのではないか、という気もする。

変わることが果たして善なのか悪なのか、正義なのか不正義なのか。良く分からない。ただ、あのころ切実に抱いていた「彼の死を「何かのため」にしたくない」という願望からすれば、やはり変わることは悪で不正義なのかもしれない。彼の死をとおしてわたしが所謂「大人」になれたといえるのなら、わたしは「大人」になどなりたくなかったし、彼の死と引き換えに、そんなものを手にしたくはなかった。それなら、幼稚で傲慢で高飛車で世間知らずで自信満々のわたしのままのほうが、よっぽどましだった。

思うに、わたしは、純粋に悲しみたかったのだろう。彼の死から、わたし自身のためにも世の中すべてのためにも、1ミリの利益や教訓も導き出したくなかったのだ。そして、それは、今でもそう思っている。

変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。自分の意思では、どうにもならないことなのかもしれない。変わり続けることが人生よ、という人もいるだろう。

わたしには、分からない。全然、わからない。変わりたい気もするし、変わりたくない気もする。変わったような気もするし、変わっていないような気もする。

最近そればかり考えている。きっと答えはいつまでもでないだろう。わたしはきっと、いつまでもわからないままだ。