高架を走る特急に乗り、帰り道。ipodからはちょうど斉藤和義の「歩いて帰ろう」が流れてきて、良いタイミング。まぁ、歩いて帰るわけではないが。しかも、この歌、軽快なメロディーとは裏腹に、実はちょっと追い詰められてる話だ。

最近、死んだ人のことを思い出すことが多い。それは、わたしがまた、迷ったり、迷ってうんざりしたり、くよくよしたり、投げやりになることが増えたからかもしれない。

特に、彼は、わたしにとっては、かみさまみたいな人だ。どう生きていけばよいのか全く分からなくなるとき、彼を思い出すと、少なくともわたしは「どうしたくないか」だけは知ることができる。そういう意味で、かみさまみたいな人。

わたしは、誰かを哀しませたり、誰かに迷惑かけたりしない限り、正しくなくても良い、と思っている。わたしに関するわたしが感じたことは、それが世間からみて、どんなに歪んでいて間違っていたとしても、それがわたしにとってはすべてだ。だからもし、他人から、わたしの彼に対する考え方や感じ方、執着の仕方が異常だと言われても、わたしは全然気にしない。何とでもどうぞ、と心から思う。わたしは彼の死に関して、正しさなんて求めていない。

わたしのかみさまは、本当に何も教えてはくれないし、実際助けてもくれない。それどころか、解決できない悩みや問いを投げかけては知らんふりさえ、している。加えて、わたしのかみさまは、ちょっとひねくれている。かみさまになる前もそうだったから、たとえかみさまになってもそれが抜けないんだろう。そして、正しくなくても良い!と一生懸命言ってるわたしを余裕で見下ろして、相変わらず馬鹿だなぁとか、力入りすぎとか、たぶん、思っているのだろう。

永遠に会えない、わたしのかみさま、は。